テレビやスマホに子守を任せがちなママたちへ

子どもと触れあう時間を大事にしたいと思いつつ、家事や仕事に追われ、ついついテレビやスマホに子守をさせてしまうママたち。「私のことだわ…!」と思ったとしても自分を責めたりする必要はありません。

この国で子育て真っ最中の若いママのほとんどが、おそらく、あなたの状況と似たりよったり。今、この瞬間にも、若いママたちが迷ったり、悩んだり、周囲やマスコミからの心ないバッシングに傷ついたりしていることは想像に難くないからです。

教育格差というコトバをどこかで耳にされたことがあるかと思います。「生まれ育った環境によって受ける教育環境に差がついてしまう」ことをいいます。

ひらたく言えば、お金のある人は充実し手厚い教育を受けて高学歴を身につけ、ひいては高収入を得る可能性も高いが、反対に教育に十分なお金をかけられない貧困家庭では、それなりの教育しか受けられず、また貧しい生活環境の中ではせっかく学んだ知識もしっかりと身になることは難しく、先に述べた高収入家庭とは最終学歴、得られる賃金の面で著しく差がついてしまうというようなことです。

しかし、この世の中、本当に裕福な家庭などというのはほんのひと握り。ほとんどの家庭では教育費にはそれほど高い出費はできないにせよ、衣食住に困るようなことはまず、考えられません。

そのような家庭をざっくり「中流家庭」と括るのには、内実も様々で語弊もありそうですが、ひとつだけ、どの階層(裕福・中流・貧困)にも共通していることがあります。それは、主にスマホを代表とするような電子機器によってゲームをしたり、音楽を聴いたり、YouTubeのような動画サイトを視聴する楽しみが身近にあることです。

この娯楽に関しては、貧乏だろうが裕福だろうが関係なく、ほぼ等分に機会が与えられているように思えます。この楽しみに中毒のようにハマり抜けられなった子どもは、お金持ちも貧しい人も関係なく、学歴はおろか、最低限の知性や教養も身につかなくなるであろうことは…、容易に想像がつきますね。

アタマのいい子に共通する知能を高める習い事とは?

さて、唐突ですがここでみなさんに質問です。アタマのいい子に共通する習い事はなんだと思いますか?

塾やそろばん、英会話など、勉強系は少数派で、ピアノを習っていた子の割合が圧倒的に多かったのだそうです。

また、記憶などに衰えを感じはじめた頃、医師や専門家からさかんに勧められるのが「手指の体操」。すなわち“手あそび”なんです。幼少期から手指を積極的に動かすことは脳を活性化させることに繋がります。それはピアノ演奏だけには止まりません。

スマホを動かす操作も指先を使います、ですって?では一度、手あそびを体験してみてください。スマホで酷使している指先が実際はどんなに怠けものか、一瞬にして分かると思いますよ!

今からご紹介する手あそびは、子どもの情操面を豊かに育むだけでなく、いずれ子ども自身が覚えて積極的に遊ぶことで脳の活性化を促してくれる効果もじゅうぶんに期待できます。

1分程度で楽しめる簡単なものばかりですから、忙しいママでも、ほんのわずかな時間に子どもと積極的に触れあい、子どもの才能をグングン伸ばしてあげてください!

一生に一度の出会いはあるか?賢い子には解ける「メンソレータム」

70年代に学生たちの間で流行った「メンソレータム」という手あそびゲームをご存じですか。この手あそびゲーム、一度ナゾが解けてしまったら、二回目は同じ場所ではもう、遊べません。

ただ、この「メンソレータム」を知らない子に対しては、また面白く遊ぶことができるので、覚えておいて損はないと思います。

私は小学校低学年のころ、この手あそびゲームと最初の出会いをしました。ただ、当時の私の脳みそではこのナゾが解けず仕舞いだったのです。私よりもう少し上の世代は、みんなでワイワイとこのナゾを解き盛り上がっていました。

二度目にメンソレータムに出会ったのは、小学校高学年の頃です。担任の先生がクラスメイト全員に向けて、これをやってくれました。このナゾを知っている子どもはクラスにはだれひとりいなかったので、あーじゃない、こーじゃないと言いながらとても盛り上がりました。

さて、ではまず、この手あそびの基本の動作を覚えましょう。

利き手でない方の手を広げて、てのひらを観客の方に向けます。利き手の人差し指をつかって、小指から順におや指の方へ向かって、「タム(小指)、タム(くすり指)、タム(中指)、タム(ひとさし指)」と指のあたまの上を指差していったら、「メンソレー」と言いながら、ひとさし指の側面からおや指の側面を利き手の指先で撫でながら、
最後におや指のあたまを差します。

この「タム・タム・タム・タム・メンソレータム」の言い方のバリエーションをつくります。いちばんカンタンなのは、上がり調子に言う、あるいは下がり調子に言う。変化がわかりやすくつけられます。

子どもたちと遊ぶとき、最初にこんな口上を述べましょう。「世の中にはいいメンソレータムとわるいメンソレータムがあります。今からそれをやるので覚えてくださいね」

子どもたちがこちらを注視したらはじめます。「最初はいいメンソレータムです。やるよ、いい?タム・タム・タム・タム・メンソレータム」こちらを上がり調子でいったら、次は下がり調子でやりましょう。あるいは丁寧にやるか、ちょっと雑にやる、という感じでもOKです。

「次は、わるいメンソレータムです。よく見ててね。タム・タム・タム・タム・メンソレータム。今のがわるいメンソレータム」

子どもたちに覚えてもらうために、何度か繰り返して実演してみるとよいでしょう。

子どもたちがノってきたな、と思ったら、さあ、いよいよクイズです。「では次のメンソレータムはどっちか当ててね、いい?タム・タム・タム・タム・メンソレータム。さあ、どっちだろ?」

上がり調子か、下がり調子、丁寧なのと雑なの、おそらく子どもたいはここに注目すると思います。

さて、ではこちらを読んでいるみなさんにご質問。いまのメンソレータムはいいか、わるいか?

そうです! いいメンソレータムです。実際にやるより、文字として見た方がはるかにわかりやすいでしょう。メンソレータムを実演する前に「いい?」とつけるといいメンソレータムになります。sなにもいわない、それ以外のコトバを言った場合はすべてわるいメンソレータムです。

できるだけ、言い方、実演のバラエティを増やし、子どもたちをミスリードしていってください。正解にたどりつかず、長引けば長引くほど、白熱してきます。

わかってしまえば、ホントたわいのないゲームですが、このゲームとの出会いから何年も経ったとき、きっとだれかの前で一度は披露してみたくなる愉快な手あそびゲームです。

「ウザイ」「キモイ」よりは…マシ?昔の子どもたちのはやしうた

教育や子どもの健全育成等に携わる人たちが集まると話題になるのが、子ども口から頻繁に漏れる、「ヤバイ」「ウザイ」「キモイ」「死ね」などのコトバについてです。

「ヤバイ」というコトバに関しては、もともとの「危ない」から派生し、「格好悪い」という意味で使われるようになり、さらに昨今では「カッコイイ」「スゴイ」という文脈でも使われるようになりました。

外国の方には、この「まったく真逆の意味合いを持つコトバ」の使い方、判断の仕方が難しいというような話もききます。

しかし、「代物」のように「素晴らしい品」という意味と、皮肉を込めて「粗悪品」という反対の両方の意味でつかわれるコトバもありますし、また、古語の「をかし」のように「滑稽・変」というもとの意味から、「趣がある」、ひいては、「美しい」「見事だ」という意味にも使われるコトバもあります。

「ヤバイ」「ウザイ」「キモイ」「死ね」など、反射的で短絡的なコトバばかりつかう子どもに対し、「もっと豊富な語彙力を持って欲しい」「うつくしい日本語をつかえ」などと苦言を呈す気持ちもじゅうぶん理解はできますが、コトバは“いきもの”であると同時に重要なコミュニケーションツール。

限られた時間で、自分の気持ちを伝え、相手の気持ちをも推し量るために、たとえ反射的かつ短絡的であっても、子どもたちが共通の言語で一瞬のコミュニケーションをすることをただ頭ごなしに否定するのはよくないのではないか、と私は考えています。

さて、この言語の話が、じつは手あそびにつながっていきます。

数十年まえの子どもたちのあいだで流行った「やじりうた」と呼ばれるものがあります。

当時の親たちも、この子どもの「やじりうた」にあまり好意的ではなく、子どもたちが街角でうたっていれば眉を顰めたであろうことも容易に推測できるのですが、それでも、あえて今回ご紹介したいと思うのは、この「やじりうた」の手あそびが、単純ながらも工夫があって面白いと感じられるからです。

やじりうたの歌詞はこんな感じです。差別用語的なコトバも含まれていたため、80年代以降からは語尾に変化が生まれています。

「あんた、ちょっと、みかけによらない、ごりらの、むすこ(むすめ)の七代目、はっきりいって、くるくるパーマ」

歌詞を読んだだけで、おおよそ推測はついたと思うのですが、まず、「あんた」は人差し指をたて、相手を指差します。この時点で「海外では人を指差してはいけない」とお小言をもらいそうですが、先をつづけましょう。

「ちょっと」は人差し指と中指、二本指を出します。チョキの「ちょ」ということですね。

「みかけに」でくすり指をプラスした三本指。「よらない」で小指をふくんだ四本指。

「ごりらの」で親指もふくめて手をパーの形に、「むすこ」で6になるようにもう片方の手のひとさし指をプラス。「七代目」で中指をふくむ七本指に。

「はっきりいって」、合計で8本になるよう、くすり指までふくめます。「くるくる」で小指もふくめて九本にし、指先を相手の前でくるくる回します。最後に「パーマ!」で両方の手をパーにし、相手の顔の前に広げます。

「やじりうた」は今風のコトバで言えば、「相手をディスる」手あそびです。でも、こんなふうに歌われたら、やじられた方もついつい笑ってしまうのではないでしょうか。

これはもしかしたら、陰湿な争いを避けるための、子ども同士の知恵なのかもしれない、と思い、こっそりご紹介させていただきました。

子ども時代の罪のない占い遊びだった…「おなべふ」と「ドレミ」

人生の岐路に立ったと感じるとき、必ず占い師に頼る、という友人がいて、「自分の大切なことを決めるのに他人に任せちゃっていいの」と心配したことがあります。

先日、べつの友人に勧められてナント100円!という少額で本格的な占い師の人に手相を見てもらったところ、自分のこころに兆した思いは、「結局のところ、なんでも自分で決めているのだな」ということでした。

この人の人生をコントロールしてやりたい、というような黒い思いを抱いていたり、誰かからそのように命じられているようなある種よほどのインチキ?占い師でもない限り、自分の意見を押し通すようなことはあり得ない。

占いにすがる人も、そうでない人も、おおよそ自分の来し方行く末、みたいなものをコトバにせずとも持ってはいて、占い師というのは、会話のはしばしから、その人の行きたいと思っている方向性を読み当てて、それを肯定しているのだ…。そんなふうに思いました。

のっけから手あそびでなく、占いについてのはなしをしたのには意味があります。今からご紹介する手あそびは、罪のない占いあそびだからです。子どもの頃、やったことがあるというような方もいるのではないでしょうか。

「じぶんで決めている」は、子どものときにハマった、この手あそび占いでも思い当たる節があります。

なんと言ってもこの手あそび占い、占ってもらう子の指の太さによって結果はまったく変わってきてしまうからです!

では、手あそび占い、いったいどんな遊びなのか、具体的にご説明したいと思います。

基本路線としては、占って欲しい子が占い師役の子に腕を差し出します。腕を折り曲げて、折れ曲がっている部分のシワのところを確認してもらいます。手首のつけねがスタートで、折れ曲がり部分のシワ部分がゴールです。

占い師さんは中指と親指で輪っかをつくって右、左を交互にすきまないようにぴったり相手の腕を這っていきます。

そのとき、唱えるコトバで占いの種類が変わります。

ひとつめの「おなべふ」は、手でつくった輪っかで「お・な・べ・ふ・お・な・べ・ふ…」と唱えながら、右、左の輪っかを交互に重ねて行きます。腕の折れ目のところで唱えたコトバが占い結果。

「お」…おりこう。おとなしい。
「な」…なきむし。なまけもの。
「べ」…べんきょうか。べそかき。
「ふ」…ふざけもの。ふりょう。

このような解釈があります。次は「ドレミ」。
こちらは、
「ド」独身。
「レ」恋愛結婚。
「ミ」見合い結婚。

「ド」のことを鈍感結婚、ドッキリ結婚、などという地域もあったようです。ちなみに鈍感結婚も、ドッキリ結婚も、意味合いとしては電撃結婚のようなものらしいです。

この手あそび占いをするとき、「この子がいい!」と指の太さと腕の距離を考えて自分に都合のよい結果を出そうと必死だったのが我ながら姑息だったなあ、と今さらながらに思えます。

たわいのない子どもの遊びですけれど、人によって冷たかったり、温かかったりする指の温度、感触を感じることで、脳が活性化されていたことは間違いありません。

また、他人の指先がモゾモゾ這ってくる、くすぐったい、なんとなくいたたまれない感じ…は、占い師の前にたって、「なにもかも見透かされていそう…!」と一瞬、自分が丸裸にされたかのような気分に、どことなく似通っている感じがします。

単純にしてじつは奧が深いロングセラー手あそび「いっせーのーせ!」

「せっせっせーのよいよいよい」のかけ声ではじまる手あそびは、主にふたりあそび前提のものだと思われますが、つぎにご紹介する「いっせーのせ!」は複数単位で遊べるすぐれもの。

じゃんけんあそびに興じる子どもをよく公共機関で見かけるというエピソードをお伝えしましたが、この「いっせーのせ!」もあそんでいる子どもをよく見ます。

やりかたはいたってカンタン。「いっせーのせ!」の「せ!」のタイミングで、ヒッチハイクするときの要領で親指をつきだす、あるいはつきださない。つまり3通りのやり方があります。片方の指だけ突き出す。両方の指を突き出す。どちらの指も突き出さない。

「せ!」のタイミングで、親が回って来た人は、数を言います。

片方の指だけだと1、両方だと2、指をたてていなければ0。それが両手分ありますから、ひとりの持ち点は0〜4、×人数分。トータル数を推測して、告げるのです。3人で遊んでいたとしたら、数の可能性は、0〜12。その中の数字をひとつ挙げる。

ズバリ、大当たりだと手が一本だけになる。2回大当たりすれば両手を場から抜くことになって勝ち抜け、となります。

自分の指を出しながら、全体の数を推測するのですから、ちょっとした脳トレが必要となります。自分が日本とも指を立てているのに0ということはあり得ないし、全体数を考えて、自分が指を挙げていないと成立しないトータル数のこともある。

ちょっとした数学力も必要なので、こうした手あそびのメイン層である、年長組から小学校中学年くらいまでだけでなく、小学校高学年から中学生くらいの大きな子どもたちが夢中でやっているのを見かけるときもあります

もちろん、もっと小さな子どもが「いっせーのせ!」で遊べないわけではありません。地域ごとにローカルルールのようなものも存在し、それが、数学的な判断が難しく、勝ち抜けしづらい小さな子どもたちの救済策になっていたりするのが、微笑ましいな、と感じます。

「いっせーのせ!」は単純にしてじつに奧のふかいあそびなのです。

「いっせーのせ!」のように、複数でもあそべて勝敗の決められる遊びをほかにもご紹介したいと思います。

ひとつめが、「おせんべやけたかな」。まず、全員分の手を並べて「お・せ・ん・べ・や・け・た・か・な」という音の順に、ひとつひとつの手に触れて、最後の「な」にあたった人の手が「やけた」ことになってひっくり返ります。両面ともやけた手は抜ける。2本とも手が抜けたら勝ち抜け、となります。

もうひとつは、「ずいずいずっころばし」。こちらは勝ち抜け方式ではなく、うたの最後の音にあたってしまった人が罰ゲームを受けるというあそびです。罰ゲームはくすぐりっことかたわいのないものであることが多いようです。

二回ほど、歌詞の途中でうたの止まるところがあって、そこで自分があたったか?とヒヤヒヤするひとが出るのがお約束となっています。