子ども時代の罪のない占い遊びだった…「おなべふ」と「ドレミ」

人生の岐路に立ったと感じるとき、必ず占い師に頼る、という友人がいて、「自分の大切なことを決めるのに他人に任せちゃっていいの」と心配したことがあります。

先日、べつの友人に勧められてナント100円!という少額で本格的な占い師の人に手相を見てもらったところ、自分のこころに兆した思いは、「結局のところ、なんでも自分で決めているのだな」ということでした。

この人の人生をコントロールしてやりたい、というような黒い思いを抱いていたり、誰かからそのように命じられているようなある種よほどのインチキ?占い師でもない限り、自分の意見を押し通すようなことはあり得ない。

占いにすがる人も、そうでない人も、おおよそ自分の来し方行く末、みたいなものをコトバにせずとも持ってはいて、占い師というのは、会話のはしばしから、その人の行きたいと思っている方向性を読み当てて、それを肯定しているのだ…。そんなふうに思いました。

のっけから手あそびでなく、占いについてのはなしをしたのには意味があります。今からご紹介する手あそびは、罪のない占いあそびだからです。子どもの頃、やったことがあるというような方もいるのではないでしょうか。

「じぶんで決めている」は、子どものときにハマった、この手あそび占いでも思い当たる節があります。

なんと言ってもこの手あそび占い、占ってもらう子の指の太さによって結果はまったく変わってきてしまうからです!

では、手あそび占い、いったいどんな遊びなのか、具体的にご説明したいと思います。

基本路線としては、占って欲しい子が占い師役の子に腕を差し出します。腕を折り曲げて、折れ曲がっている部分のシワのところを確認してもらいます。手首のつけねがスタートで、折れ曲がり部分のシワ部分がゴールです。

占い師さんは中指と親指で輪っかをつくって右、左を交互にすきまないようにぴったり相手の腕を這っていきます。

そのとき、唱えるコトバで占いの種類が変わります。

ひとつめの「おなべふ」は、手でつくった輪っかで「お・な・べ・ふ・お・な・べ・ふ…」と唱えながら、右、左の輪っかを交互に重ねて行きます。腕の折れ目のところで唱えたコトバが占い結果。

「お」…おりこう。おとなしい。
「な」…なきむし。なまけもの。
「べ」…べんきょうか。べそかき。
「ふ」…ふざけもの。ふりょう。

このような解釈があります。次は「ドレミ」。
こちらは、
「ド」独身。
「レ」恋愛結婚。
「ミ」見合い結婚。

「ド」のことを鈍感結婚、ドッキリ結婚、などという地域もあったようです。ちなみに鈍感結婚も、ドッキリ結婚も、意味合いとしては電撃結婚のようなものらしいです。

この手あそび占いをするとき、「この子がいい!」と指の太さと腕の距離を考えて自分に都合のよい結果を出そうと必死だったのが我ながら姑息だったなあ、と今さらながらに思えます。

たわいのない子どもの遊びですけれど、人によって冷たかったり、温かかったりする指の温度、感触を感じることで、脳が活性化されていたことは間違いありません。

また、他人の指先がモゾモゾ這ってくる、くすぐったい、なんとなくいたたまれない感じ…は、占い師の前にたって、「なにもかも見透かされていそう…!」と一瞬、自分が丸裸にされたかのような気分に、どことなく似通っている感じがします。