一生に一度の出会いはあるか?賢い子には解ける「メンソレータム」

70年代に学生たちの間で流行った「メンソレータム」という手あそびゲームをご存じですか。この手あそびゲーム、一度ナゾが解けてしまったら、二回目は同じ場所ではもう、遊べません。
ただ、この「メンソレータム」を知らない子に対しては、また面白く遊ぶことができるので、覚えておいて損はないと思います。
私は小学校低学年のころ、この手あそびゲームと最初の出会いをしました。ただ、当時の私の脳みそではこのナゾが解けず仕舞いだったのです。私よりもう少し上の世代は、みんなでワイワイとこのナゾを解き盛り上がっていました。
二度目にメンソレータムに出会ったのは、小学校高学年の頃です。担任の先生がクラスメイト全員に向けて、これをやってくれました。このナゾを知っている子どもはクラスにはだれひとりいなかったので、あーじゃない、こーじゃないと言いながらとても盛り上がりました。
さて、ではまず、この手あそびの基本の動作を覚えましょう。
利き手でない方の手を広げて、てのひらを観客の方に向けます。利き手の人差し指をつかって、小指から順におや指の方へ向かって、「タム(小指)、タム(くすり指)、タム(中指)、タム(ひとさし指)」と指のあたまの上を指差していったら、「メンソレー」と言いながら、ひとさし指の側面からおや指の側面を利き手の指先で撫でながら、
最後におや指のあたまを差します。
この「タム・タム・タム・タム・メンソレータム」の言い方のバリエーションをつくります。いちばんカンタンなのは、上がり調子に言う、あるいは下がり調子に言う。変化がわかりやすくつけられます。
子どもたちと遊ぶとき、最初にこんな口上を述べましょう。「世の中にはいいメンソレータムとわるいメンソレータムがあります。今からそれをやるので覚えてくださいね」
子どもたちがこちらを注視したらはじめます。「最初はいいメンソレータムです。やるよ、いい?タム・タム・タム・タム・メンソレータム」こちらを上がり調子でいったら、次は下がり調子でやりましょう。あるいは丁寧にやるか、ちょっと雑にやる、という感じでもOKです。
「次は、わるいメンソレータムです。よく見ててね。タム・タム・タム・タム・メンソレータム。今のがわるいメンソレータム」
子どもたちに覚えてもらうために、何度か繰り返して実演してみるとよいでしょう。
子どもたちがノってきたな、と思ったら、さあ、いよいよクイズです。「では次のメンソレータムはどっちか当ててね、いい?タム・タム・タム・タム・メンソレータム。さあ、どっちだろ?」
上がり調子か、下がり調子、丁寧なのと雑なの、おそらく子どもたいはここに注目すると思います。
さて、ではこちらを読んでいるみなさんにご質問。いまのメンソレータムはいいか、わるいか?
そうです! いいメンソレータムです。実際にやるより、文字として見た方がはるかにわかりやすいでしょう。メンソレータムを実演する前に「いい?」とつけるといいメンソレータムになります。sなにもいわない、それ以外のコトバを言った場合はすべてわるいメンソレータムです。
できるだけ、言い方、実演のバラエティを増やし、子どもたちをミスリードしていってください。正解にたどりつかず、長引けば長引くほど、白熱してきます。
わかってしまえば、ホントたわいのないゲームですが、このゲームとの出会いから何年も経ったとき、きっとだれかの前で一度は披露してみたくなる愉快な手あそびゲームです。

「ウザイ」「キモイ」よりは…マシ?昔の子どもたちのはやしうた

教育や子どもの健全育成等に携わる人たちが集まると話題になるのが、子ども口から頻繁に漏れる、「ヤバイ」「ウザイ」「キモイ」「死ね」などのコトバについてです。
「ヤバイ」というコトバに関しては、もともとの「危ない」から派生し、「格好悪い」という意味で使われるようになり、さらに昨今では「カッコイイ」「スゴイ」という文脈でも使われるようになりました。
外国の方には、この「まったく真逆の意味合いを持つコトバ」の使い方、判断の仕方が難しいというような話もききます。
しかし、「代物」のように「素晴らしい品」という意味と、皮肉を込めて「粗悪品」という反対の両方の意味でつかわれるコトバもありますし、また、古語の「をかし」のように「滑稽・変」というもとの意味から、「趣がある」、ひいては、「美しい」「見事だ」という意味にも使われるコトバもあります。
「ヤバイ」「ウザイ」「キモイ」「死ね」など、反射的で短絡的なコトバばかりつかう子どもに対し、「もっと豊富な語彙力を持って欲しい」「うつくしい日本語をつかえ」などと苦言を呈す気持ちもじゅうぶん理解はできますが、コトバは“いきもの”であると同時に重要なコミュニケーションツール。
限られた時間で、自分の気持ちを伝え、相手の気持ちをも推し量るために、たとえ反射的かつ短絡的であっても、子どもたちが共通の言語で一瞬のコミュニケーションをすることをただ頭ごなしに否定するのはよくないのではないか、と私は考えています。
さて、この言語の話が、じつは手あそびにつながっていきます。
数十年まえの子どもたちのあいだで流行った「やじりうた」と呼ばれるものがあります。
当時の親たちも、この子どもの「やじりうた」にあまり好意的ではなく、子どもたちが街角でうたっていれば眉を顰めたであろうことも容易に推測できるのですが、それでも、あえて今回ご紹介したいと思うのは、この「やじりうた」の手あそびが、単純ながらも工夫があって面白いと感じられるからです。
やじりうたの歌詞はこんな感じです。差別用語的なコトバも含まれていたため、80年代以降からは語尾に変化が生まれています。
「あんた、ちょっと、みかけによらない、ごりらの、むすこ(むすめ)の七代目、はっきりいって、くるくるパーマ」
歌詞を読んだだけで、おおよそ推測はついたと思うのですが、まず、「あんた」は人差し指をたて、相手を指差します。この時点で「海外では人を指差してはいけない」とお小言をもらいそうですが、先をつづけましょう。
「ちょっと」は人差し指と中指、二本指を出します。チョキの「ちょ」ということですね。
「みかけに」でくすり指をプラスした三本指。「よらない」で小指をふくんだ四本指。
「ごりらの」で親指もふくめて手をパーの形に、「むすこ」で6になるようにもう片方の手のひとさし指をプラス。「七代目」で中指をふくむ七本指に。
「はっきりいって」、合計で8本になるよう、くすり指までふくめます。「くるくる」で小指もふくめて九本にし、指先を相手の前でくるくる回します。最後に「パーマ!」で両方の手をパーにし、相手の顔の前に広げます。
「やじりうた」は今風のコトバで言えば、「相手をディスる」手あそびです。でも、こんなふうに歌われたら、やじられた方もついつい笑ってしまうのではないでしょうか。
これはもしかしたら、陰湿な争いを避けるための、子ども同士の知恵なのかもしれない、と思い、こっそりご紹介させていただきました。

子ども時代の罪のない占い遊びだった…「おなべふ」と「ドレミ」

人生の岐路に立ったと感じるとき、必ず占い師に頼る、という友人がいて、「自分の大切なことを決めるのに他人に任せちゃっていいの」と心配したことがあります。
先日、べつの友人に勧められてナント100円!という少額で本格的な占い師の人に手相を見てもらったところ、自分のこころに兆した思いは、「結局のところ、なんでも自分で決めているのだな」ということでした。
この人の人生をコントロールしてやりたい、というような黒い思いを抱いていたり、誰かからそのように命じられているようなある種よほどのインチキ?占い師でもない限り、自分の意見を押し通すようなことはあり得ない。
占いにすがる人も、そうでない人も、おおよそ自分の来し方行く末、みたいなものをコトバにせずとも持ってはいて、占い師というのは、会話のはしばしから、その人の行きたいと思っている方向性を読み当てて、それを肯定しているのだ…。そんなふうに思いました。
のっけから手あそびでなく、占いについてのはなしをしたのには意味があります。今からご紹介する手あそびは、罪のない占いあそびだからです。子どもの頃、やったことがあるというような方もいるのではないでしょうか。
「じぶんで決めている」は、子どものときにハマった、この手あそび占いでも思い当たる節があります。
なんと言ってもこの手あそび占い、占ってもらう子の指の太さによって結果はまったく変わってきてしまうからです!
では、手あそび占い、いったいどんな遊びなのか、具体的にご説明したいと思います。
基本路線としては、占って欲しい子が占い師役の子に腕を差し出します。腕を折り曲げて、折れ曲がっている部分のシワのところを確認してもらいます。手首のつけねがスタートで、折れ曲がり部分のシワ部分がゴールです。
占い師さんは中指と親指で輪っかをつくって右、左を交互にすきまないようにぴったり相手の腕を這っていきます。
そのとき、唱えるコトバで占いの種類が変わります。
ひとつめの「おなべふ」は、手でつくった輪っかで「お・な・べ・ふ・お・な・べ・ふ…」と唱えながら、右、左の輪っかを交互に重ねて行きます。腕の折れ目のところで唱えたコトバが占い結果。
「お」…おりこう。おとなしい。
「な」…なきむし。なまけもの。
「べ」…べんきょうか。べそかき。
「ふ」…ふざけもの。ふりょう。
このような解釈があります。次は「ドレミ」。
こちらは、
「ド」独身。
「レ」恋愛結婚。
「ミ」見合い結婚。
「ド」のことを鈍感結婚、ドッキリ結婚、などという地域もあったようです。ちなみに鈍感結婚も、ドッキリ結婚も、意味合いとしては電撃結婚のようなものらしいです。
この手あそび占いをするとき、「この子がいい!」と指の太さと腕の距離を考えて自分に都合のよい結果を出そうと必死だったのが我ながら姑息だったなあ、と今さらながらに思えます。
たわいのない子どもの遊びですけれど、人によって冷たかったり、温かかったりする指の温度、感触を感じることで、脳が活性化されていたことは間違いありません。
また、他人の指先がモゾモゾ這ってくる、くすぐったい、なんとなくいたたまれない感じ…は、占い師の前にたって、「なにもかも見透かされていそう…!」と一瞬、自分が丸裸にされたかのような気分に、どことなく似通っている感じがします。

単純にしてじつは奧が深いロングセラー手あそび「いっせーのーせ!」

「せっせっせーのよいよいよい」のかけ声ではじまる手あそびは、主にふたりあそび前提のものだと思われますが、つぎにご紹介する「いっせーのせ!」は複数単位で遊べるすぐれもの。
じゃんけんあそびに興じる子どもをよく公共機関で見かけるというエピソードをお伝えしましたが、この「いっせーのせ!」もあそんでいる子どもをよく見ます。
やりかたはいたってカンタン。「いっせーのせ!」の「せ!」のタイミングで、ヒッチハイクするときの要領で親指をつきだす、あるいはつきださない。つまり3通りのやり方があります。片方の指だけ突き出す。両方の指を突き出す。どちらの指も突き出さない。
「せ!」のタイミングで、親が回って来た人は、数を言います。
片方の指だけだと1、両方だと2、指をたてていなければ0。それが両手分ありますから、ひとりの持ち点は0〜4、×人数分。トータル数を推測して、告げるのです。3人で遊んでいたとしたら、数の可能性は、0〜12。その中の数字をひとつ挙げる。
ズバリ、大当たりだと手が一本だけになる。2回大当たりすれば両手を場から抜くことになって勝ち抜け、となります。
自分の指を出しながら、全体の数を推測するのですから、ちょっとした脳トレが必要となります。自分が日本とも指を立てているのに0ということはあり得ないし、全体数を考えて、自分が指を挙げていないと成立しないトータル数のこともある。
ちょっとした数学力も必要なので、こうした手あそびのメイン層である、年長組から小学校中学年くらいまでだけでなく、小学校高学年から中学生くらいの大きな子どもたちが夢中でやっているのを見かけるときもあります
もちろん、もっと小さな子どもが「いっせーのせ!」で遊べないわけではありません。地域ごとにローカルルールのようなものも存在し、それが、数学的な判断が難しく、勝ち抜けしづらい小さな子どもたちの救済策になっていたりするのが、微笑ましいな、と感じます。
「いっせーのせ!」は単純にしてじつに奧のふかいあそびなのです。
「いっせーのせ!」のように、複数でもあそべて勝敗の決められる遊びをほかにもご紹介したいと思います。
ひとつめが、「おせんべやけたかな」。まず、全員分の手を並べて「お・せ・ん・べ・や・け・た・か・な」という音の順に、ひとつひとつの手に触れて、最後の「な」にあたった人の手が「やけた」ことになってひっくり返ります。両面ともやけた手は抜ける。2本とも手が抜けたら勝ち抜け、となります。
もうひとつは、「ずいずいずっころばし」。こちらは勝ち抜け方式ではなく、うたの最後の音にあたってしまった人が罰ゲームを受けるというあそびです。罰ゲームはくすぐりっことかたわいのないものであることが多いようです。
二回ほど、歌詞の途中でうたの止まるところがあって、そこで自分があたったか?とヒヤヒヤするひとが出るのがお約束となっています。

ただのじゃんけんなのに歌が入るとみんな必死!?じゃんけん手遊び

先にご紹介した「おちゃらかほい」、「おてらのおしょうさん」、「げんこつやまのたぬきさん」いずれも手あそびの中のじゃんけんあそびです。
独特のポーズで占いをしてから、じゃんけん勝負に入る子どもも大勢いました。
代表的なポーズは、クロスしてから手指を組み合わせ、自分の身体の方にくるっとねじってから引きよせ、指と指の合間からなにかを覗き込む、というもの。
じゃんけん勝負のまえに、必ずそれをやる友人に、「中からなにが見えるの?」と聞くと、「見えないけど、なんか閃くの」という答えがかえってきました。
また別の子は、「これやっとくと、なんか強そうにみえるから。相手を威嚇している」というようなことを言っていました。
じゃんけん勝負はただ時の運。と言っても、チームの先攻後攻を決める大事な勝負だったり、お菓子の分け前を多く貰えたり、…人生の大事な一瞬がかかっていることも多いので、本意モードにならざるを得ません。
人生がかかっているわけでもなんでもないのに、純粋にじゃんけんをするだけの遊びなのに、だんだん白熱していくのは、じゃんけん手あそびうたのお約束とも言えます。
「あっちむいてほい」はその好例ですし、変化系でちょっと野蛮な「ブルドッグ」という遊びもあります。
これは勝った方が相手の頬をつまみ、もう一回勝つと両頬をつまんで「ブルブルブルブルブルドッグ」とつねったまま激しく揺らすという遊びです。加減を知らないと相手の頬が真っ赤に腫れてしまいますから、ご注意を…。
このようなあそびの中のスキンシップは対人関係を学ぶためにはもってこいだと思うので、まずは親子で遊んでみてはいかがでしょう。
ここ数年、子どもたちの間で流行している「モンチッチ」。「せっせっせーの」あとのかけ声が「モンチッチ」になります。
「あのこのこのこ かわいくないない あめりかうまれのモンチッチ あんたばかね あんたよりましよ…」というようなやさぐれた歌詞がつづきます。
モンチッチといえば、私の子どもの頃、大流行したお人形で、最近もリバイバルしていたかと思いますが、手あそびうたのタイトル二ナルトは感慨深いです。
ヒーローものの必殺技を盛り込んだ「ビームフラッシュ」というじゃんけんも流行りました。今も幼稚園などで子どもたちが楽しく遊んでいるようなので、この週末はぜひパパもじゃんけんあそびに参加して欲しいです。
また、じゃんけんの「グー、チョキ、パー」にそれぞれ名前をつけてじゃんけんをする遊びもなかなか盛り上がります。
グーを軍艦、チョキを沈没、パーをハワイ、と称してじゃんけん勝負する遊びは、ただの遊びと分かっていても、コトバの並びによってはちょっとドキッ!としてしまうこともあります。
グー辛、チョー辛、パー辛(パー辛ってなんだよ!)と名づけてジャンケンをし、あいこになったときは「水!と早く叫べた方が勝ち。
これらの手あそびじゃんけんは、公共機関などで乗り合わせた子どもたちが楽しんでいる姿を目撃することも多く、そのたび、微笑ましく思います。
うつむいて一心にゲーム機を見つめ、相手の顔を一切見ることなく、対戦するより、よっぽど楽しいと思うのです。車内は興奮した子どもの声でつかのま賑やかにはなるけれど、そんなのはご愛敬!って思ってしまいます。

お寺の和尚さんは進化している!?70年代からミレニアムまで!

「せっせっせーのよいよいよい」からはじまる手あそびをいくつか紹介して参りました。これから紹介する「おてらのおしょうさん」という手あそびも、「せっせっせ」からはじまるものとしてポピュラーなのですが、あえて別項をもうけてみたのには意味があります。
この「おてらのおしょうさん」、じつは長い長いときを重ねて確実に進化していってるんです!
ではまず、私が子どもだった頃、70年代の「おてらのおしょうさん」の歌詞をご紹介したいと思います。
「おてらのおしょうさんが かぼちゃのたねをまきました めがでて ふくらんで はながさいて じゃんけんぽん!」
そうそう、これこれ! とここで納得されてしまったあなたは70歳代くらいではないでしょうか。つまり、ご自身のお子さんが70年代に幼児であったくらいの年代の方です。
お次は90年代のものです。
「おてらのおしょうさんが かぼちゃのたねをまきました めがでて ふくらんで はながさいたら かれちゃって にんぽうつかってそらとんで 東京タワーにぶつかって ぐるぐるぐるぐる じゃんけんぽん!」
ここでも相当ビックリしましたが、実はミレニアム超え(2000年度以降)でさらにすごいことに!
「おてらのおしょうさんが かぼちゃのたねをまきました めがでて ふくらんで はながさいたら かれちゃって にんぽうつかってそらとんで 東京タワーにぶつかって 救急車にはこばれて おまわりさんにおこられて ぐるぐるぐるぐる じゃんけんぽん!」
おおお! エピソードがより具体的になっている。東京タワーにぶつかった時点で擬人化?かぼちゃの花らしきものはそらくケガをして救急搬送されたのでしょうか…。そのあと、なぜおまわりさんに怒られたのか。重症人なのに。忍法なんかつかったからか?…謎は深まります。ぜひ後日談求む!
動作としては、まず自分の手を叩くこと、次にお互いに自分の右手を上に向けて広げた相手の左手に重ねることを「おてらのおしょうさんが かぼちゃのたねをまきました」までリズミカルに繰り返す。
「芽が出て」で、仏教式のお祈りのポーズ、「ふくらんで」でその形をふくらます、「はながさいたら」で合わせていた指先を離し、花のかたちをつくる。「枯れちゃって」で指先同士を合わせて内側に巻き込み、枯れた花のかたちをつくる。「にんぽうつかって」で忍術のポーズ。
…そこからはストーリーに合わせて楽しくゼスチャーする感じです。
同じように、ストーリー性があって、最後はじゃんけんでしめくくるものとして、「げんこつやまのたぬきさん」という手あそびがあるのですが、こちらはリサーチしたところ、「せっせっせ」から始まらない、という意見が大多数でした。歌詞をのせますね。
「げんこつやまのたぬきさん おっぱいのんで ねんねして だっこして おんぶして またあした」
動作としては、げんこつ山でげんこつをつくって交互に重ね、そのあとは歌詞に合わせたポーズをしていきます。
このようにストーリー性のある手あそびは、伝承されてきた大体のかなければならないルールはありません。
自由な発想で楽しいふりつけを考えて、お子さんとめいっぱい楽しんでみて下さい。

合いコトバは「せっせせーのよいよいよい」そこから始まる手あそび2

「せっせせーのよいよいよい」ではじまる手あそびとして、代表的な「茶摘み」、「アルプスいちまんじゃく」、「みかんの花咲く丘」をご紹介しました。
この3つは、ふたり手あそびの代表的なものなのですが、今回、このブログを書くに当たって、各所でリサーチを行ったところ、かなり多くの人が、「せっせせーのよいよいよい」は「おちゃらかほい」とセットだ、という意見を述べられていたのです。
私自身も「セット」と聞いてなるほど、と思いあたるところがありましたので、今回「おちゃらかほい」についてお伝えできれば、と考えています。
まず、「せっせーせのよいよいよい」のやり方を復習いたしましょう。向かい合って、握りあった手を軽くふりながら、「せっせーせ」、つぎにクロスして「よいよいよい」。
そして先ほど述べたように、この動作のあと、つづいて口に出るのが「おちゃらか」というコトバである、という人が10人中、8人ほどの割合でいたのですが、なるほど、確かにおちゃらかは子どもの頃、大人気の手あそびでした。
「茶摘み」、「アルプスいちまんじゃく」、「みかんの花咲く丘」はいうなれば“手のダンス”、優雅な所作(とくにワルツスタイル楽曲である「みかんの花咲く丘」)の繰り返しです。
昨今の教育現場では、ジェンダーの棲み分けを限定しない、すなわち、「男だから」「女だから」という括りをしないというようになっているのですが、これがひと昔まえならば、「手あそび?ケッ、そんなのは女の遊びだい!」なんて斜に構える男子がいたに違いないのです。
実際、検索サイトで「手あそび」の項をひくと、それを裏づけるように「主に女児の」というようなコトバが出てきます。
さて、この「おちゃらかほい」ですが、これは手あそびにじゃんけん要素が加えられたもので、勝敗が決まりますから、斜に構えた男子や、元気いっぱいの女の子たちにも支持された遊びであろう事は容易に想像がつきます。
では、実際に「おちゃらかほい」で遊んでみましょう!
歌詞はこんな感じです。この歌詞にも地域差があるようです。
「おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい おちゃらか かったよ(まけたよ、どうじで)おちゃらかほい」
向かいあったふたりが最初の「おちゃらか」で手をつなぎ、軽く振り合う、次の「おちゃらか」でつないだ手をクロスさせる。次の「おちゃらか」で手をつないだまま元に戻して、次の「ほい」でじゃんけん。
勝った人は「かったよ」と言いながら、万歳をし、「おちゃらかほい」に戻ります。
負けた人は、「まけたよ」と言いながら、うつむく、泣きまねをする、などして、「おちゃらかほい」に戻る。
あいこのときは「どうじで」とふたりいっしょに言いながら腰に手を当てる。
ただこれだけの繰り返しですが、なにかの待ち時間や、純粋にあそびの一環として、やっているうちに盛り上がって、白熱する光景をよく目撃しました。
たしかに、「せっせっせーのよいよいよい」からこの「おちゃらかほい」まで一連の動作としてやると実にしっくりきます。みなさんもこの「おちゃらかほい」、お子さんといっしょにぜひ楽しんでみて下さい!

合いコトバは「せっせせーのよいよいよい」そこから始まる手あそび

「せっせーせのよいよいよい」子どもの頃、だれでも一度はそう声を合わせて遊んだことがあるのではないでしょうか。
基本的な動作では、向かい合わせになったふたりが手をつなぎ、「せっせーせ」と軽く揺らす。元気な子どもはわざと大きく強く相手の手を振り回してゲラゲラ笑ったりします。
次の「よいよいよい」では、つないだ手を離さぬままクロスします。先ほど季節の手あそびでご紹介した「茶摘み」も、この「せっせーせ」から始まることが多いです。
ここでは、まず最初に「アルプスいちまんじゃく」をご紹介してみたいと思います。
原曲はアメリカ民謡の「ヤンキードゥードゥル」。独立戦争の頃から愛唱歌としてうたわれていた歴史のある楽曲です。
日本では、「ヤンキードゥードゥル」の和訳で歌われたほか、高校野球の応援歌としてもつかわれている人気曲。でも、いちばん有名なのはやっぱり手あそびうたの「アルプスいちまんじゃく」のようですね。
歌詞はなんと、29番(!)まであるのですが、有名なのは1番のアルペン踊り、2番の富士登山、ちょうちょがとんできてキスをする4番、星のランプに手が届く、ロマンチックな6番あたりですね。
全部通しで読むと、この方、ロマンチストであるだけでなく、たいへん勇敢な冒険家。だいたいがとこ、1番の「小槍(こやり)」(槍ヶ岳)の上でアルペン踊りを踊るのすら、常人にはマネすべきでないたいへん危険な行為であることからも伺えます。
さて、与太話はこのへんにして、では実際に「アルプスいちまんじゃく」の手あそびをやってみましょう。
1番の歌詞をご紹介しますね。
「アルプスいちまんじゃく こやりのうえで アルペンおどりを さあおどりましょ ラーンラランラ ランランランラン ラーンラランランランランラン ラーンラランラ ランランランラン ランランランランラー」
要領としては最初は茶積みと同じ。まず、自分の前で拍手、右を合わせる、拍手、左を合わせる、拍手をはんで、次に、お互いの両手を合わせます。拍手を挟んで、お祈りの要領で指を重ねたまま、その手を開いて、お互いのてのひらをあわせます。また拍手をはさんで、右手、左手、拍手、両手、指先を組み合わせたてのひら…、と繰り返します。
繰り返しなので、一度覚えてしまえばカンタンなのですが、「茶摘み」から考えるとふたつ、あたらしい動作が入るので小さな子どもには少し難しいかもしれません。
「茶摘み」の手あそびでも楽しく遊べますので、まずは「アルプスいちまんじゃく」のうただけを覚えて、「茶摘み」の手あそびでやって、少しずつ「アルプスいちまんじゃく」の手あそびのやり方を覚えていくとよいと思います。
次にご紹介するのは、「みかんの花咲く丘」。こちらはさらに難しい仕上がりになっています。
こちらは三拍子のメロディになっているので、目の前で拍手、相手の手と合わせる前に、手の甲同士を合わせるという優雅な仕草が入り、ワルツのムードを醸し出しているのがすばらしいと思います。
作詞者がきちんと判明しているのでこちらの歌詞は掲載しません。動画サイトなどを検索すると詳しい遊び方が出てきますので、参照してみてください。

大人でも結構ムズカシイ!?餅つきのライブ感を表現した高度な手遊び

かつては新しい年を迎えるためや、祝い事の折の、なくてはならない大切な儀式であったろう餅つきも今は、たのしいイベント。
つきたてお餅はパン焼き器の餅つき機能でスイッチポン!でカンタンにできてしまうし、なにより、お餅が食べたかったら、スーパー・コンビニで入手できてしまいます。しかも365日24時間、それこそいつでも!
実際の餅つきを体験したことがある方は、その煩雑さより、大勢の人の手を介して、ようやくできあがった白いお餅のうつくしさ、美味しさに、感動するに違いありません。
力づよく、杵を打ちつけるひとと、なめらかなお餅をつくるため、お餅を返す人、蒸したてのお餅は熱くてヤケドをしそうだし、うっかりタイミングをはかりそこねれば、杵に手を巻き込まれてケガをしてしまう…。
そのため、杵打つ人も、お餅を返す人も、周囲で見守る人も一団となってかけ声をかけていきます。
これこそが、お餅つきという一大イベントの醍醐味。絵になる瞬間とでも言いましょうか。
つきあがったお餅が運ばれていき、餅粉の中で丸められていく風景を見ながら、ますます餅つきは白熱していきます。
そんな餅つきのライブ感を体現するような手あそびがあるのをご存じですか。2人ペアになってやるものなのですが、やっている方も面白く、また見ている方も非常に面白い、というまさにお餅つき一大イベントを模した手あそびなのです。
うたの歌詞は「3月3日」になっているので、私はひなまつりのときにこの手あそびを紹介することが多いのですが、歌詞をかえたりして、いつでも遊んでみてください。
ではまず、歌詞のご紹介から。
「3月3日のもちつきに とってんと とってんと とってん とってん とってんと さあこねて さあこねて さあこね さあこね さあこねて とーんとーん とってんと とってん とってん とってんと」
調子のよい歌声がいまにもどこかから聞こえて来そうな、たのしいうたです。
餅つき役と、餅かえし役を割り振ります。餅つき役は片方の手を下投げする要領で下方に構え、もう片方の手をそれに打ち付けるように、拍手を打ちつづけます。最後までこのリズムを崩さずに。
餅返し役は、「さんがつみっかのもちつきに」のうたに合わせて、四拍叩き、「と・てん・と」の「と」の部分は自分の手を打つ、「てん」で相手の下の手に触れる、次の「と」でもう一回自分の手を叩く。
つぎの、「さあこねて」では「さあ」で一回自分の手を叩き、「こね」で相手のふたつの手がおおきく離れた瞬間に中に手を入れておもちを返すようにぐるんと回し、「て」で自分の手に戻ってくる。もう一回。今度は反対回りです。「さあ、こね。さあ、こね」でも同じように。
つぎの「とーん、とーん、と」では音に合わせ、相手の叩く手の上方で三回拍手。次の瞬間、「てん」で大きく開いた相手の手と手のあいだで一回拍手、「と」で相手の手の下で拍手、「と」でもう一回下で叩いて、「てん」真ん中、「と」上、「てん」中、「と」下、「てん」中、「と」上で終了。
始めて見た人は、そのダイナミックな動作に圧倒されること請け合い。練習せず、いきなりやるのは難しいので、まずタイミングを合わせて拍手をしてもらって、この餅つきを見守ってもらうところから始めてもらうとよいでしょう。それでもじゅうぶん楽しめるはずです。

新緑の季節!ひとりでもふたりでも楽しめる“お茶”の手遊び2種

今回は季節の手あそびの中から、新緑の芽吹く頃、「新茶のおいしい季節」にぴったりの“お茶”をテーマにした手あそびを2つ、紹介します。
ひとつめは「ちゃつぼ」。ちゃつぼ(茶壺)は摘んで乾かしたお茶を保存するためのつぼのこと。今はもっぱら缶で保存しますね。
歌詞はこんな感じ。「ちゃ ちゃ つぼ ちゃつぼ ちゃつぼにゃ ふたがない そことって ふたにしろ」
「フタがないからって底をはずしてフタにしたら、持ち上げたとき、お茶がおっこっちゃうよ…!」なんて子どもはそんなふうにあげあしをとりながらも、この手あそびを楽しみます。
では実際にやってみましょう。まず、おや指とひとさし指をあわせてコップのような形をつくります。これは利き手じゃない方でつくった方がやりやすいです。利き手はジャンケンのパーの形でひらいたままです。
最初の「ちゃ」のときは、コップ型の手の上にフタのように載せます。次の「ちゃ」では、底にあてます。その底に当てた手を今度は、コップ型に早変わりさせ、「つ」の音のとき、さっきはコップだった方の手をパーにしてフタにします。「ぼ」でフタをはずして今度は底にします。
もう一回、フタだった手が、コップ型にチェンジ。次の「ちゃ」でさっきコップ型だった方の手をフタにします。「つ」でまた底に。今度は底だった手がまたコップに早変わり。「ぼ」で反対側の手がフタになります。
次の「ちゃ」でフタが底になり、次の「つ」はフタだった手がコップに反転。コップだった手が「ぼ、にゃ」でフタ、底となって、「ふた、が」で手が反転して、「ない」のとき、手が底にいっていますか?
…この繰り返しで、最後はフタがなくなって底になっています。分かったかな?
根気よくやれば、どんなぶきっちょさんでも必ず「モノ」になります。ポイントは「ふたがない」と「そこにしろ」なので、「ふたがない」とき、底に手がいっていって、「そこにしろ」のとき、フタがなくて底に手が行ってる状態であれば途中経過はどうであれ、一応OKです。
スピードアップすると、てんやわんやになって、とりあえず、ポイントだけ合わせる子ども続出。動体視力の高い、観察眼の鋭い子が「こいつインチキ〜!」などと騒いでたいへん盛り上がります。ぜひやってみてください。
さて、お次は、2人で楽しむ手あそび、「茶摘み」。「夏も近づく八十八夜…」の出だしで有名なうたです。格調高い歌詞で、さぞかしご高名な方が作詞されたのか、と思ったのですが、作詞者・作曲者ともに不明。これは文部省唱歌というカテゴリーで、著作権は国に帰属するようです。
いま、文部省唱歌など、作者不明の楽曲の、本来の作者を捜す研究も積極的になされているようですよ!
これは2人で手を合わせる手あそびの中でも入門編と言えますから、ぜひ幼いお子さんにも覚えて欲しいと思います。
基本動作は、一回目を拍手。この休符部分が2人の気持ちを通い合わせる間合いとなります。次に、右手同士を合わせ、一回拍手を挟んで、左手同士、拍手一回、右、拍手、左、拍手、右、左…、と繰り返します。
では次の歌詞の一拍分ずつに合わせてみましょう。
「ン(休符)・な・つ・も・ち・か・づ・く・は・ち・じゅ・う・は・ち・や・とん・とん・の・に・も・や・ま・に・も・えあ・か・ば・が・し・げ・る・とん・とん・あ・れ・に・み・え・る・は・ちゃ・つ・み・じゃ・な・い・か・とん・とん・あ・か・ね・だ・す・き・に・つ・げ・の・か・さ」
コトバの語尾をのんびり伸ばすようにうたうこと。区切ってうたうとお経のように聞こえるのでご注意を!